「生きづらさを豊かさに変えて今も未来も豊かに幸せに」幸せチャネラーりえ・オフィシャルサイ[

MENU

プロフィール

  • HOME »
  • プロフィール
●Healing Salon School「プレマシャンティ」幸せチャネラーりえ☆

「自分軸を整えて生きづらさを幸せに」導いていくお手伝いをさせて頂いております。
愛知県刈谷で「プレマシャンティ」を主宰しています。

このページでは少し私自身のことを綴っていきますね。


今年還暦です。

≪りえの生い立ち≫

~身体のこと~
心臓がもともと弱かった母から生まれた私も、かなり虚弱体質で生後半年で生死をさ迷ったり、夜中に病院に駆け込んだりと、お医者様とのご縁がずっと続いて、小学生の時には腎臓病で入院をしました。

その後も風邪をしょっちゅう引いたり、小学生のころから肩こり、頭痛もちで病院と仲良しでしたが、スピリチュアルを学びだして、一時は喉風邪を休みなく患っていたのですが(第5チャクラが滞っていたので)、その後はかなり丈夫になりました。

~お薬と病院~

亡くなった父も母も「お薬」が大好きで、母は頭痛薬を1日に3度+αで、父は風邪薬を1年のほとんど飲み続ていて、小学生の頃は市販のお薬は「飴」のような感覚でいたのです。

父と母が患って、初めてお薬の飲みすぎは命を縮めることを知り、母が倒れた時、血管がクネクネとしていて点滴の針が入らない状態だったのを目のあたりにして、それ以来、お薬は緊急とどうしてもの時以外は飲みません。

サプリもその影響でなかなか飲むことができなかったのですが、ようやく栄養学や今の放射能や農薬事情から飲む方が賢明という判断をして質の良いサプリとプロテインを取るようにしています。

父と母の最期は本が1冊書けるのではというぐらい波乱万丈で、病院に大変お世話になりました。

その実態や事実もわたしなりに感じることができ、医療や技術もさながら、病気も最後は自分次第なんだなという体感をし、自分の最期を自分で決めて還ろうと想っています。

~子供時代~

幼いころから美しいもの、表現するものに憧れ、バレリーナーと女優さん願望が強く、何度も母にプッシュをしたのですが、母は近くに教室があり、母が習いたかった、オルガンやエレクトーン、お習字教室に通うものの、時間になると机の下に隠れてボイコット。(笑)

その当時から自分の気に召さないものはやりたくないという気持ちが強かったようです。

唯一、近くの絵画教室へは自由に描かせてくれたので喜んで通っていました。

小学3年生で、名古屋から刈谷に引っ越し、水洗トイレからドボン便所(汲み取りで、溝のように彫ってあるトイレ)になって怖くてトイレに行けなくなり、もともと「綺麗・清潔」な母に育てられたわたしは、極度のカルチャーショックに陥り、学校のトイレは「怖い」という印象でなかなか行けなかくて、保育園でもトイレに行くのを我慢したのを今も覚えています。

そもそも神経質な母がトイレに落ちるのではと毎日、保育園の木の陰から覗いていたので、潜在意識にも「落ちる」という恐れがあったのかもしれませんね・・。

お引越しと同時に、徒歩3分の小学校から徒歩40分になり、見渡す限り「田んぼ・・」これまた、ネオンが好きだった小学生のわたしは、「田舎は嫌だー」とつくづく身に染みたのです。

引っ越したその冬に腎臓病で入院。
気は病から・・早々と実践しました。(笑)

~母とわたし~

幼いころから心配性の母は事あるごとに心配しづめだったようです。
心配のあまり無難な道を娘に歩ませたいと思ったようです。

バレエや劇団もそうであり、進学も無難な良妻賢母を推進して譲ずで、結局私の方が、デザイン科を諦めて保育科に進むということに・・どちらかというと過保護で、少々間違った愛情を注いでいたかと思います。

私が最初の旦那と離婚して、2才の娘を連れて実家に帰り、その冬にくも膜下出血で倒れました。
そして2度目に倒れたのが64歳の時で、血管性痴呆症と下半身不随となりました。

痴呆となった母は、今まで、我慢して、良い人を演じて、無理して周りと合わせて生きてきた人生をひっくり返すように、性格も変わり、感情むき出し、人を嫉妬中傷非難しだしました。

介護士さんが「痴呆になると自分がでるんだよ」といった言葉が忘れられません。

ほんとうに母は頑張って頑張って、良い人を演じて生きてきたのでしょう。

それまでも家ではネガティブな人のことをわたしに言うことが多かったのですが、我慢して生きていると、最期に上乗せして爆発するんでしょう。

感情はその時その時、出し切っていかないとね。
これは愛する母から学んだ教訓です。

~わたしと娘~

最初の結婚はまさに失敗でしたが、そのおかげで大切な娘と出会うことができました。

不妊治療で、最愛の娘が生まれても、娘に愛情が沸かない旦那に嫌気がさして、もともと結婚当初から(まあ、結婚前からと言った方があっているかな)不和を感じていたので離婚を決意。

娘が2才の時に離婚して、実家に戻ってきました。

父と母は娘を可愛がってくれて、ほっとしたのもつかの間、その8か月後に、母がくも膜下出血で倒れて、大手術を。

その後いったん元気になり後遺症はあったものの、娘の幼稚園の送り迎えや、バレエの衣装の手直しなど幸せな生活が数年続きました。

その後、父の定年を機に、少し鬱っぽくなり、父が町内の大きな役を引き受けたのを引き金に、心ここにあらずとなり、仮面うつ病や、骨折などを繰り返すように。

負の連鎖とは勢いがつくとこうなるかというような、経験をこの後味わうことになりました。

父のうつ病、わたしの転職先の有りえないこと、母の2度目のくも膜下出血、父のうつ病の再発と、次から次へとこれでもかと、転落してくようなことが起こり、私自身も自律神経を崩して、寝込むことが多くなった時期でもあります。

この時の負の連鎖は後々、スピリチュアルを学んで腑に落ちた連鎖でしたが、当時は知る余地もなく、「悲劇のヒロイン」を生きていました。

今、想うと「心の捉え方」「視点を変えること」それをしていくことで回避できることもあったのでしょうが、なかなかその当時は知る余地もなくどん底状態でした。

大変な時期ではありましたが、この辛さがあったからこそ、今のわたしがいるのであろうと感じています。

ただその当時は、少しでもいいので、スピリチュアルや心理学を知っていたら、こんなに辛い想いにはならなかったであろうと思うのです。

だからこそ、今皆さんにこうして発信しているのでしょう。

その原動力が今の仕事に通じているのですから、すべては上手くいっているという所以でしょうか。

そして幸せいっぱいに見えた娘に今年発覚したことが・・最愛の孫が発達障害と診断されました。

1歳半くらいまでは順調に成長していたと思われていたのですが・・折線発達障害と言われるように途中で成長が止まってしまった・・というより退化していくように感じられて娘が気づいたのです。

最初は誤解がいっぱいで発達障害の本を読み漁り、誤解が溶けていきました。
脳の障害でもあり、個性でもあり。
どこまでがグレーゾーンなのか不明でもありますし、未知の世界でもあります。

まさか・・
娘が先に鬱っぽくなったのをこの半年、優先でサポートし続け、さらに精神世界を学ぶこととなりました。

「乗り越えれない壁はやってこない」
ほんと体験でしか味わえない事実。

子供を通して親は成長し強くなっていくものですね。

~今のパートナーとの出会い~

ステップファミリーとなったのは、娘が学生になったころ。

出逢いは2000年総人口IT時代と言われて、パソコンが市で推奨されて講座が開かれるようになったのがきっかけです。

実は再就職にと思ってパソコン教室に習い始めたときに、娘の友達のママから誘われて、付き添いで面接に行ったのですが、メールさえ満足に出来ない私に「ぜひ・・」と声をかけられて、恐れ多くも、IT講習会のインストラクターになり、その足りない知識をフォローしてくださった、アドバイザーの一人が今のパートナーです。

ほんと人との出会いは何がきっかけかわかりません。
全く結婚をするつもりはなかったのですが、気づけばステップファミリーの誕生ということになっていました。

その当時は介護でヘロヘロとなっていたので、優しさが引き金となっていたのでしょう。

そのあいまいさが親戚では「だまされたのでは・・」と心配しまくり、中傷されたり、心が痛みました。

でもその後パートナーは献身的に亡くなった父の事、施設に居た母の事、娘の進学や結婚の事、母の葬儀などしてくれました。

母の葬儀の時には叔父が頭を下げて「ありがとう」と言ったときは、すべてが帳消しとなり愛で溢れてきました。

今は娘も独立して別世帯を持ち、子供を授かり、ステップファミリーは次世代へと突入し、新たな課題とともに婿含め、ますます仲良く過ごしています。

~愛猫まりん~

2009年生まれの愛猫まりんは、スピリチュアルを学びだす前年度にやってきました。
超甘えっ子のママっ子。
それは今も変わらず、孫と張り合っています。

そして相変わらず、年老いても、超スピリチュアル猫です。
キャットフードしか食べず年取るごとに健康になっていく不思議な子でもあります。

未だカーテンレールから飛び降りたり、エアコンの上で寝て飛び降りたり。

わたしを守るためにやってきた、愛する愛猫です。

りえとスピリチュアル~

スピリチュアルな体験は幼い頃。
お昼寝の時、祖母の敷地内にあった我が家で1人お昼寝して(母は母屋に内職をしにいっていた)誰もいない、そこには無いハズの神棚からたくさんの小さな侍が降りてくるのを何度も繰り返し視ていました。

十二単を着ていた姫の私は、ボロボロの着物を着ている母を抱えて、追ってくる侍から逃げている。

侍たちは「姫、そやつを離しなさい!」と言うのですが、泣きながら「嫌です!!」と逃げていく。

ほんとうに怖い場面で、何度も繰り返し視るのが怖くてお昼寝ができない・・

過去世だったのでしょうか?

母に言うと「ただの夢」一喝されて悲しかったのを覚えています。

あとは、ひとりでお花や蝶々、動物、植物、お月さまとよくお話をしていました。
ほんとうに楽しかったです。

絵本も大好きで、絵本を読んでいると続きがどんどんと浮かんできてもう妄想の世界へ突入。
これは大きくなっても変わらず、テレビのドラマでも同じように自分が登場しストーリーが次から次へと展開するのが楽しかったです。

その場面場面での断面がたまにリアルに現実になったり・・

これがスピリチュアルと言うならばそうなのでしょうし、イメージが現実化するという精神世界の体感、体験の始まりだったのでしょうね。

「スピリチュアル」という言葉は50歳にしてはじめて知ったのです、まさに目からウロコ☆

時々何となく人と違った世界にいるのではと感じたのは、この世界だったのか・・と想ったのです。
そのきっかけとなったのが、2010年にふとヨガの帰りに出逢った1冊の本でした。

その本との出会いは、わたしにとってのスピリチュアルのメンターとなる出会いでした。

その頃、今のパートナーと出会い、家を新築したころだったのですが、いろんな疲れが出だして、心と身体のバランスを崩し、生きづらさを感じていた時で、心理学を学ぼうと探していたのですが、その当時は体調を崩していたので遠くまで行けず、どうしようかと思っていたころ。

それからグループコンサルという意味もわからず、名古屋まで行けないと思った居たのに、参加を申し込み、不思議な世界だけど自分に必要な世界と直感で感じて、学んでみようと思ったのです。

その後は、メンターから多くの学びと実践と、スキルを学びました。

特に、仕事とは何か、スピリチュアルは特別なものではないことを徹底的に教えて頂き、今の地に足が着いた活動の元となっています。

そのメンターとは現在はスピリチュアルのお仕事からは離れましたが、今も良き関係で交流をさせていただいています。

もちろんメンターは一人ではありませんが、わたしの人生を大きく変えたのは過言ではありません。
たくさんの経験と体験と学びを積ませていただきました。
それを土台としてこれからも進化し続けていきます。

~私のスピリチュアル観~

スピリチュアルとは
人生を生きやすくしていくためのツールであり、
人生そのものだとわたしは想っています。

スピリチュアルは特別なものでもなく、
生きていることそのものがスピリチュアル。

魂に沿っていきていくこと。
ありのままを認めること。

宇宙には良い悪いはありません。
感情もありません。

そこにあるのはあるがまま。

自分を認め、許し、受容し、変容していく。
そこにこの肉体を持って生まれた三次元に学びがあるのだと想います。

~プレマシャンティ~

プレマシャンティとは「内なる真実の愛」という意味です。
語源はサンスプリット語からきています。

真実は自分の中にある。
真実は愛である。

~学び~

保育園保母
幼稚園教諭
ワープロ
パソコン

ヨガ
シニアヨガ
瞑想ヨガ
チャネリング曼荼羅カード
チャネリング
チャクラ
レイキ
アバンダティア
セントジャーメイン
数秘
セルフ心理学
数秘心理学
問題解決カウンセリング
コーチング

など。

by幸せチャネラーりえ

This error message is only visible to WordPress admins

Error: No connected account.

Please go to the Instagram Feed settings page to connect an account.

PAGETOP